健康寿命までに公正証書遺言を

 

概要

 遺産相続をめぐる骨肉の争いを避けるためにも、終活の中で、遺言作成は重要な仕事のひとつだ。できれば70歳までに、遅くとも健康寿命までに公正証書遺言を作成することが理想だ。相続すべき者が特定されるような具体的かつ明確な内容にすることが不可欠だ。遺族全員が納得するような遺言を残すことができれば、理想的だ。気が変わったら再作成もできる。

皆が納得する遺言を残したい

 古今東西、遺産相続でもめて骨肉の争いをする親族の何と多いことだろうか。遺産「争族」という造語もあるが、遺産相続で争ったことで、縁を切ってしまう兄弟親子もいる。縁は切らない場合でも、しこりは消えず、何年たっても永遠に残るように思える。

 いっそのこと、遺産など無かったら、兄弟親子で争わずに済み、今までどおり、仲良く付き合えたのかもしれない。故人も、遺族が争うなどということは望んでいなかったはずであり、本当に残念なことである。そうした事態が、自分の死後に、自分の妻子の間で起こらないようにするため、遺族全員が納得するような遺言を残すことができれば、理想的だ。

 人は必ず死を迎える。莫大な資産がある人も、少ししか無い人も、いずれ、遺産相続は必ず全員に訪れることだけは確かである。しかし、それが、いつになるのかは誰にも分からない。「分からないから、明日かもしれないが、遺言など何も準備していない」という人が大半ではないだろうか。

 それでも、全員に、ある日、突然、死は訪れる。そして、事後の処理にあたっては、やはり、遺言が重要になる。しかし、口頭での遺言は、あいまいになる。また、遺言書が残された場合でも、自作の遺言では、不利な内容を見せられた相続人からは、疑義が出る。

 たとえば、「それは本物の遺言なのか」、「偽造したのではないか」、「病床で、だまして書かせたのではないか」、「裁判所の検認の前に開封したではないか」、「自筆でないから無効だ」、「故人は逆の内容を明確に言っていた」、「故人とは、こういう約束をしていた」といった異論が出る可能性がある。

 実際、高齢者が具合が悪くなると、心配そうに、急に、すり寄ってきて、世話をするふりをして、有利な遺言を残させようとする相続人は多い。中には、ドラマのように、密かに病床で、そそのかして、自分に有利な遺言を書かせる例もあると聞く。

 こういう状態では、後日、内容や遺言書自体の信憑性、紛失、偽造・開封問題、すり替え問題、複数の遺言書発見問題などを招く。こういった疑惑で紛糾するようでは困るし、遺言書として残した意味がない。また、遺言書が本物だとしても、内容が曖昧であれば、その意味・内容をどう解釈するのかという問題で、新たな争いを招くことになる。

 そこで、「自作の遺言書」ではなく、公証役場で具体的な内容の「公正証書遺言」にしておけば、そのような心配もなくなるし、死後、裁判所による遺言書の「検認」も不要になる。

 また、故人の遺志が正確に伝わり、かつ、分割協議書の作成が不要になるので、公正証書遺言を作成しておけば、無用な争いを生む可能性が減り、遺産相続の手続きが円滑になる。

公正証書遺言は健康寿命までに作成したい

 「自分なりの後始末のために必要な準備」は、できるだけ、頭や体が十分に働く年齢、すなわち、およそ健康寿命までを目標に、概ね終了させなければならない。さまざまな終活の中で、遺言書の作成は重要な仕事のひとつだ。

 健康寿命は、令和元年時点で男性が72.68年、女性が75.38年だ。誰もが、「まだ、70歳代なのに遺言書なんて」とは思うだろうが、急な病気や事故、認知症等もありうる。健康でも、いつ、何があるかわからない。実際、健康寿命以下の年齢で死亡している知人は何人もいる。

 心身ともにクリアなうちに、キチッと遺言を整理したほうが良いものができることは、間違いがない。なにしろ、公正証書遺言の作成の際は、公証役場に本人が行って、証人の前で、本人の意志を、直接、しっかり表明する必要があるからだ。

 相続人が一人だけの場合はともかく、相続関係が難しいケースの人は、必ず「公正証書遺言」にして、具体的かつ明確に自分の意志を表明しておくべきだと思う。

 たとえば、自分に複数の相続人がいる、または相続人が誰もいない、前の結婚での子供がいる、婚外子がいる、養子がいる、内縁の妻がいる、法定相続人以外の個人や団体に遺贈をしたい、などのケースだ。

 それほどの巨額の遺産もないのに、手間と費用をかけて公正証書遺言を作成しておくことには抵抗があると思うが、この趣旨は、自分の死後に、妻子や子供たち同士が相続問題で争いになったり、絶縁になったりしないようにすることにある。

 また、子供たちが遺産を法定相続分どおりに分割した結果、皆が平等に分けて誰も責任を負わず、一人で残された配偶者の後見人的な世話をしない、寺やお墓を継がないということを避けるためでもある。

 加齢が進み、多少の認知症や物忘れが入った時点で遺言が作成された場合は、たとえ、公正証書遺言であっても、遺言能力について疑義があるとして争われた事例もあるという。

 一般に、認知症といっても、初期だったり、まだらボケだったりという場合は、外見ではわからない。高齢になると、頑固だったり、偏屈だったりするのは普通なので、公証役場でも気付かない認知症もあるのだろう。やはり、当然だが、遺言は一生で一回のものだ。良い遺言を作るためには、頭が元気なうちに、実行しなければならない。

 気持ちや状況が変われば、遺言は何度も書き直すことができるので、元気なうちに、よく考えて、まず、一回は作成しておくことである。遺言のようなものは、よほど思いきって着手しないと、永遠に作成できない。

 以上のことから、できれば、70歳までに、遅くとも、健康寿命までに、公正証書遺言を作成することが理想だ。

相続すべき者が特定されるような具体的な内容に

 公正証書遺言作成の意義や手順等については、「日本公証人連合会」のホームページが参考になると思う。この中に、公証役場一覧があるので、身近な公証役場で遺言の作成を申し込めば良い。遺産の額により、若干の費用が必要となる。

 通常、公証役場では、原案を作成し、内容を調整し、証人も用意し、大きな茶封筒に入った正副2通の公正証書遺言を作成してくれる。しかし、実際に公正証書遺言を読んでみると、相続人の側からすると、「やけに簡単で、内容的に書き足りていない部分がある」、「わかりにくい部分がある」、「具体性に欠ける部分がある」など、歯がゆい内容の公正証書遺言になっている場合がある。

 当然だが、公証役場では、あくまでも、本人の意向の範囲内で遺言を作成せざるをえないせいで、本人が触れなかったことは書けないのだろうと想像する。せっかくの公正証書遺言でも、書いてない重要事項があったり、記載内容の意味・解釈や実際の分割方法等々があいまいで、後日、相続人の間で議論が紛糾する、訴訟になるというようでは困る。

 遺産の分割方法の良しあし以前の問題として、まず、遺言は、できる限り、個々の具体的な資産と、それを相続すべき者が特定されるような、具体的かつ明確な書き方をしてほしいと思う。

 そのためには、遺言は、文学的・情緒的な内容ではなく、内容を事務的・具体的・客観的に伝えるべきだ。なぜなら、死んだ人には、遺言の意味や趣旨を質問できないからだ。質問しなくても、誰もがわかるように書いてくれないと、相続争いの予防にはならない。

事前に専門家に相談する方法もある

 また、公正証書遺言として、形式としては完璧な遺言であっても、内容として完璧かどうか、必要十分かどうかは別問題だ。

 たとえば、感情に捉われて、あまりに特定の相続人のみに偏った遺言を作成した場合は、後日、遺留分をめぐって相続人同士が争う禍根になる。

 とりわけ、相続に伴う懸念がある場合などは、遺留分や再婚や内縁の事情、遺贈の事情などを踏まえ、実際の相続時の法的な懸念、争った場合の相場、遺言の執行人なども考慮したうえで、遺言の内容を決定しておいた方が良い場合がある。

 そのためには、公証役場に行く前の段階で、法的な面も考慮した上で自分の頭の中を明確に整理しておく必要がある。「誰に、何を、どのように相続させたいのか」について、公証役場に行ってから適当に考えるようでは、先方も困るだろうし、良い内容の遺言ができるはずがない。

 これを避けるためには、あらかじめ、弁護士や司法書士などの専門家に相談した方が良い場合がある。お金がかかるが、専門家と相談しながら、字句レベルで原案を整理した上で、「形式としての公正証書遺言」の作成のために公証役場に赴くという手順も有効ではないか、と筆者は思う。

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