老後移住(1)田舎への移住は慎重に

雪の別荘イラスト

概要

 「老後移住」という言葉が流行語のようになっている。しかし、そもそも、本当に老後移住をする必要があるのか。移住するとしても、どこに移住するかは、慎重に検討する必要がある。なにしろ、このあと、数年で健康寿命を迎えるからだ。 

田舎への移住は正解か

田舎暮らしに憧れる定年退職者が過疎対策に利用されている

 老後移住とは、本来は「老後になってから移住する」というだけの意味だろうから、「完全に退職する前後になって、好きな地域に何らかの形で住居を確保し、まったく新たな環境の中で新たな生活を送る。」といった移住全般を含むものと考えられる。

 そのような前提ならば、老後になって、「田舎から都心のタワーマンションに転居すること」も、「定年退職後に都内の実家に戻って、再スタートすること」も、「老後に、過疎地から過疎地に移住すること」も、「老後移住」のはずだが、おそらく、そういったイメージは少ないかと思う。 

 「老後移住」という表現は、都会から田舎へ移住する場合に使用されることが多いようだ。主に、「定年退職後のサラリーマンが、都会から田舎の空き家、中古リゾートマンション、古い別荘などへ移住して、のんびりとしたセカンドライフを送る」というイメージなのだろう。

 このため、老後移住の流行は、過疎地・人口減少地域などでは歓迎されており、老後移住者を誘致するため、マンションの提供やタクシー券の配布等を行っている地方自治体もある。このようなことまでするのは、老後移住を過疎地から都会への転出とは捉えておらず、都会の定年退職者を迎えて、人口の社会増を促進する効果があると考えているからだ。

 要するに、「老後移住」は、都市部の定年退職者を過疎対策に利用するための戦略になっている。人口減少対策や空き家対策、経済力の低下などで悩む地域において、過疎化対策の安易かつ具体的な方策として、「田舎願望を持つ純真な都会の高齢者の移住」が利用されているのだろう。

 現在、日本全体の高齢化率は、先進国では世界一の約3割だ。しかし、既に、人口減少地域では、高齢化率が5~6割を超えている市町村も多い。しかも、高齢化は依然として進展している。消滅都市とされる過疎地の市町村では、行財政能力や労働人口、医療、生活利便施設など、地域の活力は著しく悪化しているのではないか。

 つまり、「都市部の定年退職者をターゲットにすれば、質量ともに十分な雇用のない地域でも移住者を呼べる。過疎地の人口の社会増が見込め、住民税や固定資産税も増える。空き家問題の改善にもつながる。住居の改修や家賃、食費等で地元への経済効果も見込める。」といった打算が背景にあるに違いない。

老後移住を誘致しても、結局は地域の負担増になる

 一方、移住者の側では、完全退職を契機として、「自然あふれる田舎での幸福なセカンドライフ」を夢見ているのだろう。現役時代は、通勤や子供たちの通学などの地理的な制約があり、移住など思いもよらなかったはずだ。

 そういった世代が、仕事からも子供からも解放されたときに、「別天地で、のんびり過ごしたい」といった想いを抱いて、余生を迎えてからの移住を目指すのかもしれない。さらに、その幻想を利用して、中古住宅や別荘の売買、賃貸、改修などで、退職金を抱えた高齢者を相手に稼ごうとする事業者が跋扈しているという構図だろう。

 しかし、いわゆる田舎や過疎地と呼ばれる市町村は、概ね自主財源が少なく、財政力指数が低い。国や都道府県からの補助金や地方交付税に依存した経営が続き、多くが消滅自治体に名を連ねているのではないか。

 2024年4月、「人口戦略会議」が公表した「日本の地域別将来推計人口(2023年推計)」では、全国の地方自治体1,729のうち、744自治体(全体の43%)を「消滅可能性自治体」として具体的に掲げている。→ 一覧表は、令和6年・地方自治体「持続可能性」分析レポート という字句で検索。

 このため、都市部からの老後移住に期待するような過疎地の市町村は、高齢者福祉について、福祉人材や高齢者福祉施設の面でも、医療面でも、企業や民間の生活関連サービスの面でも、買い物や公共施設や交通などの生活面でも、今後とも、充実は期待できない可能性がある。

 実際には、充実が期待できないどころか、今後、現状の行政サービス水準を低下せざるを得なくなり、やがて、地方自治体としての存立さえも厳しくなるだろう。何しろ、今後、住民が減り続け、ほぼ、いなくなってくるのだから、まさに、「財政再建団体」を経て、「消滅可能性自治体」への道だ。そのような場所に、都会から老後移住しても、ゴミの回収頻度ひとつとっても、住民税を負担する意義があるのか、悩むことになる。

 そのような、過疎化と高齢化が極端に進む地域は、財政難と人材難のため、現状でも既存の住民に対する地域医療や介護福祉サービスの確保もおぼつかない状態にあると思う。そういった地域に、さらに「老後移住」により、行政サービスの要求水準の高い都市部の高齢者が集中するような誘致策を展開する姿勢は無責任ではないか。

 「老後移住」による目先の経済効果はあるが、移住者が高齢者ばかりでは、地域の高齢化率が一層上昇し、介護保険や健康保険、行政サービスの面で、結局は地域の負担増加になる。結果的に、より一層、地域全体の高齢者に対する介護・福祉・医療サービス、さらには、住民福祉全体が行き届かなくなるのではないかという心配がある。

 移住者の側も、「幻想に基づく田舎ぐらしへの移住」を判断をする前に、移住先と現住所との高齢者福祉サービスや医療、生活利便施設等の内容や距離、冠婚葬祭の移動費用等々を比較検討する必要がある。これからは、住民が自治体を選ぶ時代だ。目先の移住支援制度などに釣られてはいけない。老後移住に対する支援制度が充実している地域は、「それだけ魅力が無い地域だからだ」、「思うように老後移住者が集まっていないのだな」と考えて注意した方が良い。

買い手のいない「訳あり物件」かもしれない

 現在、我が国全体として、人口と戸数の減少が進む中で、全国的に空家が増えている。2024年4月の総務省の発表によれば、全国の空き家は過去最多の900万戸で、全住宅の13.8%(7軒に1軒に達するという。このうち、半分は借り手の見つかっていない賃貸住宅だ。この傾向は、とりわけ、過疎地域では顕著で、今後とも、人口減少・過疎化の進展とともに、ますます、拍車がかかるだろう。

 しかも、従来から、地方のリゾートマンション、バブル期の古い別荘、農山村等々では空家が目立ち、極めて格安で販売されている物件がある。そして、現在も廃墟化が進行しているリゾート地、別荘地、住宅団地も各地にある。

 都会の定年退職者が、このような場所で、買い手のない老朽化した別荘や農山村の空き家を手に入れて、「家庭菜園でもやりながら、のんびり余生を過ごしたい。庭でバーベキューをやって、暖炉で薪を燃やして暖房にすればよい。田舎なら生活費も少ないだろう」などと、幻想を抱く姿が「老後移住」なのだろう。

 「農山村の空き家、リゾートマンション、古い別荘など」の中にも程度の良い物件があるのかもしれない。しかし、安価な中古物件を手に入れても、おそらく、そのままでは住めない。安い物件には安い理由がある。買い手もいない物件だから、当然、後に、売ろうとしても売れない。もう、別荘の時代ではないし、日本中で空家が余っているからだ。

 高原の別荘地などは、古来、人が住まなかった場所だ。元々は住むのには良い場所ではない可能性が高い。たとえば、日照や通風が良くない、霧・冷気・風・雷・積雪がひどい、立地が沢筋で土砂流出の危険性がある、蛇や虫や獣が出る、医療・道路交通や買い物が不便といった心配がある。しかも、当該地域としては割高なので、おそらく、地元の人は買わない。  

 また、数年以上も空き家になっていた建物は、ダニとカビ、ネズミの巣で、ホコリと廃棄物だらけだろう。しかも、道路や水道管はボロボロで、下水道もない。庭や周辺はジャングルになっており、周辺は空き家だらけで、住民はいない。

 あるいは、膨大な管理費の未払い分が残っていたり、現在の何倍もの暖房費、地理的条件、インフラや生活の利便性に、あまりにも懸念があるといった可能性がある。環境衛生面でも「訳あり物件」ではないかと疑うべきだ。

夜に現地に行ってみよう ~ そんな怖い場所に、来月から、死ぬまで住めるのか

 土地建物は、晴れた日の昼間に見ると良く見える。しかし、湿気だらけの山間の梅雨時の夕方の暗い景色、街灯さえない真っ暗な冬の夜、蚊・虫・蛇・蜂の出る夏、台風や豪雨の夜を想像してみた方が良い。売買契約をしてしまう前に、雨の日か、できれば、夜に現地に行ってみることだ。

 おそらく、高齢者夫婦とも、「夜に、そんな所に二人だけで下見に行きたくない、気持ち悪い、怖い」と言うはずだ。しかし、「そんな怖い場所に、来月から、死ぬまで住めるのか。しかも、いずれ、妻は、そこで一人暮らしになるけど大丈夫か。」と暗闇の中で自問自答できる。これが平気な人は、購入候補者になれるのだろう。

改修しても、あと30年間は住めないかもしれない

 また、安いと思って中古物件を購入しても、本当に割安かどうかは疑問だ。別荘などは夏向きに作っているので、樹木に囲まれている。日照が悪いので湿気も多い。山あいの安普請の建物は、通常の住宅に比べて、基礎工事・建築材料・断熱工事も良くない可能性がある。

 床下全面をコンクリートで覆う「ベタ基礎」ではないので、湿気が上がる。屋根の垂木(たるき)や床下の根太(ねだ)が腐食していたり、シロアリ被害などがあって、高額の大改修が必要な可能性がある。

 仮に、万全な良い建築だったとしても、1981年5月末までに確認申請を受けた建物は「旧耐震」であり、耐震性にも懸念がある。追加で耐震工事を実施するようであれば、別途、莫大な費用がかかる。

 また、新耐震であっても、1990年までのバブル期に建築された別荘だとすれば、もう、築30年以上が経過している。少なくとも、トイレ、風呂、洗面所、台所周辺の床、システムキッチン、食洗器、風呂などの給湯設備、冷暖房器具を含めて大改修する必要がある。こういった、水回りの改修には驚くほど費用がかかる。

 しかも、大改修をしたところで、建物自体が新築になるわけではない。細い柱、屋根まわりを含め、このあと、時間の問題で次々と他の場所が悪くなってくる。移住後、最長、30年間は住まなくてはならないのだ。年金生活なのに、この先も、建物の修繕、設備を含めた維持管理費は高額になる。

別荘よりも、地元集落の中の小規模な平屋住宅の方が良い

 どうしても田舎に移住したいという場合は、今後の生活全般やメンテナンスを考えると、「山の中の古い別荘の購入・大改修」ではなく、「降雪や凍結のない温暖な地域の地元集落の中で、水回りなどが改修済で、日当たりが良く、庭にトラックが乗り入れられる築浅の平屋住宅」が良いのではないか。

 敷地にトラックが乗り入れられる住宅ならば、近い将来、杖に頼るようになっても、出入りに階段の心配がない。車いすを利用するようになっても、庭から楽にデイサービスの送迎車を利用できる。また、救急車、霊柩車、宅急便、消防車等も庭に乗り入れできる。そんな広い宅地があるわけがないと思うのは都会の人だけだ。敷地にトラックが乗り入れられる民家は、田舎では珍しくない。

 農村地帯のこういった家屋は、たいてい、隣接地に自家用の野菜を耕作するための小さな畑が付いているはずだ。全国で空き家だらけなので、最近まで高齢者が住んでいた住宅ならば、こうした条件を満たす物件は、いくつでもあるのではないか。

 また、もし、自己資金に余裕があるのなら、「上記の物件を更地にすることを条件で購入し(あるいは更地を購入して)、小さな隠居住宅を新築する」という方法が良いと思う。新築住宅なら、耐震性や断熱性、給排水設備、水回りや屋根等も心配なく、家の中でも車イスのまま生活できる。今後、最長で30年間住むつもりなら、その間の維持費を含めれば、「中古物件の購入と大改修」よりも、「小さくても新築の建物」が安心だ。また、不要になったら、それなりに売却できるのではないか。

 地元集落の中に移住する場合、近所付き合いが心配かもしれないが、本来は、高齢者には、ありがたいことだ。人間は一人では住めない。近所の世話にならないつもりでも、必ず、困るときがある。集落の中で協調して一緒に暮せば、いろいろと、助けあえるはずだ。

 いずれ、一方の配偶者が先立てば、必ず一人暮らしになる。高齢者が話し相手もいない生活をしていても、防犯上も良くないし、認知症にもなりやすいのではないか。生活にも困る。それでは、孤独死を待つだけの暮らしになってしまう。昼になっても雨戸が締まっているとき、夜になっても洗濯物が干してあって気配が無いといった場合に、「どうしたのか」と声をかけてくれるのは、近所の人だけだ。「遠くの親戚より近くの他人」なのだ。

 なお、老後移住の有無にかかわらず、必ず、今後、生活費の他に、長期入院、老人ホーム入所、葬儀、墓所などの費用がある。老後移住のために老後資金を使い切ってはいけない。移住などをすれば、どうしても費用がかさむ。手持資金が少ない場合は、移住などに浪費せず、現住所の近隣の高齢者向けや低所得者向けの県営住宅・市営住宅等への転居を検討すべきだと思う。

田舎への移住は、心の準備が必要

郷に入っては(入れば)郷に従え

 都会育ちの人は、夢と希望を抱いて田舎に移住するものの、移住先の積雪などの気候、濃厚で煩雑な人間関係・風習・言語、地域行事への強制参加、よそ者意識などになじめず、移住に失敗したと後悔する事例も多いと聞く。しかし、それは移住者の側の問題だ。たとえは悪いが、「なんだ、金目の物が無いじゃないか」と勝手に怒っている泥棒のようだ。侵入者の側から見た勝手な論理だ。

 そもそも、田舎は、農村、山村、漁村でも、どこも、何百年も続く共同体の社会だ。「近年の寄せ集めの者が大半で、出入りの激しい都会」とは違う。明治時代以降にできた地方自治体よりも、ずっと古い歴史がある。長年の間に自然発生的に形成され、定着した慣習や手順、禁忌、歴史や文化などが、何事についても存在する。良いとか悪いとかといった問題ではない。これは、何百年も続く老舗の商家、伝統の職人、歌舞伎俳優などの旧家では、都会でも同じだと思う。マンションやニュータウンで育った人には想像もつかない世界かもしれない。

 田舎は、大昔からの地縁・血縁で、つながっていて、それなりに安定している。先祖代々、赤ん坊の時から見知っており、家族構成まで知っている。何百年もの間に形成されてきた、地主と小作人の関係、本家と分家の関係、士族と平民の関係などの名残がある。地域の秩序も序列も、ルールも慣習も文化も、家の格も家風も、代々の職業も、氏素性もある。それらが一体となって、移住者などが来る前から成立している。いわゆる、村社会だ。

 そこに、突然、旅人のように土足で入ってきて、見物して、あれこれ批評しているのは移住者の方だ。「自分がどのように歓迎してもらえるのか」ではなく、「自分がどのように地域社会に連携・貢献できるか」を考えられない身勝手な移住者ならば、歓迎する地元民はいないと思う。

 少なくとも、移住者は、「温泉旅館に来たお客様のように、頭を下げて出迎えてもらう立場」ではない。移住者側が「頭を下げて仲間に入れてもらう立場」だ。郷に入っては(入れば)郷に従えと言う。上目線で評価、批評する立場ではない。そこの土地では、新入社員と同じ立場だ。 

好かれる移住者も、嫌われる移住者もいる

 農山村では、何年たっても、「あいつは、婿だから」と言われる場合がある。生え抜きの長男とは、どこかで区別されるが、差別ではない。地域の人達は、小学校に入る前から知りあいで、お祭りなどの冠婚葬祭も一緒にやってきた関係だ。成人してから入ってきた婿さんは、どうしても、狭い地域のバランス感覚、慣習、歴史、地名の通称名、屋号、家風や人間関係の機微などに、「どこか、疎いところがあるのは仕方がない」といった意味だ。

 そういう場所に、都会から突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)が来たとすれば、さらに異邦人だ。「どこの馬の骨かわからない」、「さて、どんなやつか。何をしに来たんだろう」、「何年持つか」、「本当に骨を埋めるつもりで移住してきたのかどうか」と観察されるだけだ。嫌われもしない。最初のうちは、嫌われる以前に、もの珍しいものを見る感じだと思う。

 いずれにしても、田舎でも都会でも、あるいは、会社でも部活でも、昨日や今日、入ってきたばかりの新参者が、あれこれ言っても笑われる。周囲の人は、「誰が来てくれと頼んだのだ」、「嫌なら、お前が黙って出ていけばよいだけだ」、「経緯も実情も知らないのに、いきなり、何を言っているんだ」と心の中で思っている。新参者は、その辺が、心の底から判っていないと、老後移住に限らず、都会でも、どのような仲間に入って行こうとしても無理だろう。「閉鎖的だ」とか、「よそ者の差別」とかとは違う。

 そもそも、田舎暮らしに勝手にあこがれて移住しているから、こんなはずではなかったと勝手に落胆するのだ。田舎は地獄ではないが、天国でもない。田舎暮らしを美化して考えないほうが良い。少なくとも、「田舎だから、なごやかで、のんびりした良い人ばかりだ」ということはない。おそらく、どこの田舎でも、どこの都会でも同じように、いろいろな人がいるだけではないか。

 インターネットの移住失敗例などを拝見すると、昨日や今日、部外者が突然やってきて、短時間に表面だけ見て、勝手に美化して、勝手に落胆するのも変な話だ。「自分は落ち度は無いのに、土地柄や田舎の人がダメだったから、うまくいかなかった」と言っているように思える。おそらく、そういう風だから、仲間に入れなかったのだと思う。その土地でも、当然、好かれる移住者もいるし、嫌われる移住者もいるということだけだろう。要するに、移住者の態度しだいだ。

田舎に老後移住する必要があるのか

 本格的に移住するとなれば、夏休みに数日だけ行く別荘とは違う。なにしろ、このあと、数年で健康寿命(男性72歳)を迎える。元気な時は良いが、健康に不安を感じるようになっても、遠距離の通院をするようになっても、一方の配偶者が亡くなっても、慣れない気候・風土の中で暮らせるのかどうかは重要だ。

 また、老後移住によって、友人、知人、親戚、職場関係など、これまでの交流関係がリセットされる。人的交流をすべて意図的に切り離したい場合は良いが、友人・知人もいない見知らぬ遠隔地に移住して、しばらく経過した後は、どのような感慨を抱くのだろうか。

 自分の老後の生活に向いている地域・物件・環境・医療体制かどうかは、本当に多角的な慎重な検討が必要になる。移住先として最適なのは、海辺か高原か、あるいは、農山村か別荘地か、田舎か都会か、寒冷地か南国かは、本人しだいだ。気候だって、大雪が降る地域とか、冬は零下何度という寒さなのに、夏は非常に暑いという地域もある。

 老後移住の先としては、気候が温暖な南関東が人気だというが、それならば、南関東の人は、どこに移住すれば良いのだろう。「田舎に行けば、やり直しができる。のんびりした別天地で幸福な生活が待っているはずだ」と憧れているだけではないか。つまり、「都会での生活環境が恵まれなかったことによる逃避行動ではないのか」、「そもそも、田舎への老後移住が本当に必要なのか」、「近隣での引越と、どう違うのか」といったことを、冷静に考えなおす必要があるのではないか。

 いずれにしても、以上のことを総合的に考えて、本当に老後移住をするかどうか、どこに移住するかは、慎重に検討する必要がある。老後移住をしても、数年で健康寿命を迎えて、病気になったり、足腰が痛んだりする。心身も優れなくなることは時間の問題だ。やがて、運転もできなくなる。配偶者も亡くなって、体調も悪い独居老人になった状態で田舎にいたら、毎日の生活も大変なことになる。 

 こういった近い将来を展望すれば、どうしても老後移住をするのなら、市街地にすべきではないか。病院や買物、床屋、飲食店、金融機関や郵便局にも近く、ネットスーパーや宅配弁当、ピザの配達区域でもある。子供や孫、親戚、友人に訪ねてもらうにも、在宅福祉サービスを受けるのにも便利だ。

老後移住(2)高齢者こそ市街地に住むべきだ

自宅を持たない高齢者の住宅確保