老後移住(2)高齢者こそ市街地に住むべきだ

 

概要

 張り切って老後移住しても、すぐに、健康寿命(男性72歳)だ。やがて、運転もできなくなり、通院や買い物も不自由になる。前後して、配偶者が亡くなれば、暗い山の中の荒れ放題の中古住宅で一人暮らしの高齢者になる。結局、市街地に戻らざるを得ないとすれば、山の中への老後移住など、そもそも、必要だったのか。老後資金を浪費して田舎に移住することに何の意味があるのか、移住前に慎重に考えた方がよさそうだ。 

 ホームページやYouTubeで「老後 移住 失敗」、「老後 田舎暮らし 失敗」などと検索してもらえば、失敗した本人の具体的な事例が詳細に掲げられている。以下にも、3つの老後移住の事例を掲げたが、憧れの田舎暮らしとは、ほど遠い結末が多いようだ。

 都会で定年退職後、リゾート地の近くの「山の中の別荘」を購入して夫婦で老後移住した。やがて、夫が重い病気で地方都市の大規模病院に長期入院したため、妻は一人暮らしになった。公共交通機関はないため、運転免許がない妻は、毎回、タクシーで数万円かけて夫の入院する病院に往復した。そのあと、夫は亡くなり、妻は「山の中の別荘」で一人暮らしになった。

 都会で職場結婚して暮らしていた夫婦が、定年退職後、遠隔地の田舎の夫の実家に老後移住して農業を始めた。しかし、その生活は妻には合わず、妻は元の都会に戻ってしまい、完全な別居生活になった。都会の自宅付近には、子どもと孫が住んでいる。何があったのか、妻は、もう絶対に夫の田舎には行かないと言っており、同居のメドは立っていない。夫は定期的に野菜を送ってくるらしいが、事実上、熟年離婚のような状態だという。

 都会で定年退職後、東南アジアのリゾート地に夫婦で老後移住した。その夫婦は、日本の自宅は残したまま、1年の大半を外国で暮らすという長期観光旅行スタイルだった。当時は、「現地は物価が非常に安く、毎週、夫婦二人でゴルフをして、のんびり暮らしても、年金で足りる程度の生活費だ。日本では年金では足りない。」と自慢していた。しかし、良い医療機関が身近にない、健康保険がきかないという問題で、うまくいかなかった。 

 田舎暮らしとか別荘とかと言えば、「暖炉」や「薪ストーブ」が人気だ。五右衛門風呂や囲炉裏(いろり)、竈(かまど)の生活で育った人間からすれば、珍しくもない「薪の生活」だが、一部の都会育ちの人には憧れなのだろう。しかし、薪を用意することは、思っているほど簡単ではない。

 まず、どのような土地でも、どのような樹木でも、必ず所有者がいる。山林も竹林も野原も地主がいて、地主が企業や個人の場合は、毎年、固定資産税を払っている。住宅の庭と同じ私有地だから、勝手に立ち入って、木や竹の幹や枝、松茸や山芋、タケノコなどの産物を取ることも、立派な犯罪だ。「都会の畑から盗んだら犯罪だが、田舎の山の中なら許される」という問題ではない。個人的に薪が必要だからと言って、他人の土地の木や枝を勝手に伐採して持ち去ることは、「窃盗罪」や「森林窃盗罪」にあたる。

 このほか、法令により、地主でさえも伐採が禁止されている区域もある。隣国では燃料用の勝手な伐採が続いて、はげ山になり、洪水を招いているのは有名だ。日本では、保安林などに指定されている区域では、立竹の伐採や立木の損傷は禁止されている。また、国立公園や国定公園の特別保護地区内では全ての動植物の採取等が禁止だ。

 個人が合法的に樹木を伐採するためには、地主の合意を得る必要がある。一定額を支払って、広葉樹林の地主から伐採・搬出・利用許可を得るという方法になる。地主は、伐採面積に応じて、事前に、県または市に届け出ることが義務付けられている。

 クヌギなどの広葉樹は、根元で伐採しても、新芽が生えて樹林が復活する。このため、20~30年ごとに伐採して新陳代謝を図るため、樹木だけを売買する習慣がある。もし、移住者が、こうした伐採許可を得られたとしても、一年限りだ。翌年以降は、毎年、伐採していない別の広葉樹林の許可を取らなければならない。

 しかも、伐採作業は大変だ。まず、真冬に広葉樹を伐採するが、作業にはチェーンソーを使用する。初心者には危険な機械だが、作業場所が落ち葉だらけの広葉樹林の斜面という不安定な足場なので、より一層、危険だ。もともと、伐採作業全般が危険であり、専門的な訓練を受けている者でも、斜面での伐採時に倒木が不規則に跳ねて当たる場合などがあり、不慮の事故で死亡する人も実際にいる。

 何とか伐採したとしても、その後、枝を落として、まとめ、周辺を掃除・整理する。運搬用のトラックも用意する必要がある。車両まで幹や枝を人力で、道なき道を搬出し、トラックで輸送する。薪の長さに切り揃える。薪を割る。薪置き場に積んで乾燥する。この作業を一冬分の薪の量、やらなければいけない。かつ、毎年の作業だ。高齢者が、いつまでもできる仕事ではない。薪の長さに切りそろえる切断や薪割の作業場所となる土地も機材もトラックも、薪の保管場所も必要だ。

 なお、都会の人は、トラックへの薪の原木の積み方、ロープのかけ方、南京結び(万力結び)なども知らないと思うが、万が一、道路で移動中に積み荷が崩れたら、対向車や後続車、歩道の人たちの死傷事故につながる危険がある。運搬作業だけでも、トラックの運転ができるだけではだめだ。さまざまな知識と経験が必要であり、見よう見まねでできるものではない。

 ただし、このような作業は、通常は、薪の販売者やシイタケ栽培者などが原木を取る際に行う。自家用の薪のために、地主に樹木の代金を払って(山の木を買って)、移住者が自分で広葉樹の立木を伐採するというケースは、まず、実際には無いはずだ。

 山林の樹木を勝手に伐採できない以上、都会からの移住者が薪を入手するためには、どこかで買うことになる。ところが、いざ、買うとなると、薪は高価だ。上記の人件費の結晶だからだ。ストーブの大きさ、薪の材質、買い方、配達料金等にもよるが、買った薪だけで、ひと冬を越すことは、年金生活者には贅沢なことだ。

 また、薪は、スイッチひとつで、点火したり、消火したりできるわけではない。寒冷地や高原などでは、昼も夜中も定期的に薪を補充する必要がある。臭いも煙も出る。煙突掃除も必要だ。薪の置き場所だけでも大変だ。「薪ストーブ  後悔」という検索をしてみてほしい。

 体力の衰え、労力と薪の費用を考えると、おそらく、屋外タンク式の石油ヒーターを日常的に使用するようになるだろう。そうすると、老後移住しても、憧れの一つ、「暖炉や薪ストーブ」は、実質的には実現できないということになる。 

 都会からの老後移住を検討している人は、「家庭菜園でもやりながら、のんびり暮らしたい」という願望があるらしい。しかし、家庭菜園も大変だ。畑の面積が都会の建売住宅ぐらいしかないとしても、35坪の畑は70畳の広さがある。高齢の初心者が耕作するには、それほど、のんびりした面積ではない。

 畑と言っても、売買されるような土地であれば、おそらく、竹、笹、ススキ、その他の雑草などで荒廃しており、土は固まっている。次々と、季節ごとの雑草が生える。これを素人の高齢者が、開拓して腐葉土や堆肥などを鋤き込み、季節ごとに耕すといった作業を人力でやることは無理だ。結局、耕運機などに頼らざるを得ないので、機械類の経費、維持管理の手間や知識が必要になる。

 特に、耕運機や管理作業機、草刈機、チェーンソー、動力噴霧器、電動丸ノコ、電動ドリルなどは、自分で整備・調整しながら使用する道具だ。しかも、安全装置が簡略なものが多く、危険かつ、重い。例えば、15リットルの薬剤を入れた噴霧器は20kgになるが、これを背負って歩きまわる体力は、何歳まであるだろうか。

 エンジン付きの機械も、長い時間、傾けたり、抑えたり、ある方向に振り回したりといった作業になるので、振動や動力に対抗する基礎体力と操作技術がないと使いこなせない。耕運機のロータリーで足を切断した人もいる。

 農機具は、家庭電化製品のようにスイッチを入れれば、誰でも、すぐに使えるというものではない。使用前後の清掃・点検では、混合ガソリン、チェーンソーオイル、草刈機のグリスの補充、刃の交換や砥ぎ、錆止め、充電などが必須だ。メンテナンスの知識や器具、これらの農機具の倉庫も必要だ。

 機械なので、調子のよい時も悪い時もある。毎回、整備・調整しながら使用しないと、どうにもならない。点火プラグやエアーフィルターの清掃・交換など、定期的な作業もある。若いころに自分のバイクを持っていた人なら理解できると思うが、エンジンに触れたことが無いような人が急にできる仕事ばかりではない。機械やDIYが苦手なタイプの高齢者が都会から田舎に移住してきたら、相当、苦労する。

 農機具の整備以外にも、作物への給水、消毒、施肥、周辺の草刈り、刃物砥ぎ、鳥獣対策、塗装、柵の設置、土留めなど、農業全体の雑用の作業量と経費は膨大だ。場所によるが、イノシシ、鹿、サルの被害と対策は覚悟しておく必要がある。その他、季節により、蜂、蚊、ヒルなどもいる。畑にまっすぐに畝(うね)の線を何本も平行に引けるような几帳面な人や、雑草取りが気持ちよいというマメな人でないと、農作業自体が嫌になると思う。

 ところが、田舎の人は、このような畑仕事の基礎、臨時発生的な作業、軽度の分解修理・工作は、ある程度は自分でできる。幼児のころから見ているし、多少は手伝っている。スーパーで野菜を買うわけではないので、毎日、食べるためには、作業もやらざるを得ない環境で育っている。

 耕運機や刈払機(草刈機)などの農機具、軽トラック、肥料、農薬、除草剤、種苗、ガソリン類も高価になっている。憧れの自給自足生活など、ほとんど、実現不可能だ。家庭菜園にチャレンジしても、道楽なら良いが、投資をしても、おそらく、初心者では元が取れない。慣れたころには、健康寿命が来てしまう。

 たとえば、白菜やレタス、キャベツ、ナスなど、野菜の種や苗、支柱、肥料、農薬等は結構高いが、買った苗の本数だけ順調に育つわけではない。病害虫、鳥獣被害、日照り等があれば、すぐに全滅する。結局、素人が自己流で次々と投資して野菜を作るよりは、食べるだけなら、直売所で季節の野菜を適量だけ買った方が割安になる。そうすると、老後移住しても、憧れの一つ、「家庭菜園」も、実質的には実現できない。田舎に移住すれば、安く暮らせるという訳ではない。

 要するに、田舎に老後移住しても、暖炉や薪ストーブも家庭菜園も、実質的には実現しない。多少は実現しても、前述の理由により、長くは続かない。以下の記述は、田舎の悪口ではない。田舎に移住する前に、覚悟しておいた方がよいという意味で、一般論として、あえて羅列する。

 暮らし方次第だが、「田舎だから生活費が安い」ということはないと思う。山間部や高原では、店舗間競争がないせいか、スーパーなどの買い物は高価格。店舗が小さくて品ぞろえも悪い。距離は遠い。夜は早々に閉店する。休業日がある。コンビニや外食はない。マイカーは人数分必要なので、ガソリン代や任意保険、スタッドレスタイヤ、秋春のタイヤ交換料などの維持費が膨大。暖房費、中古住宅の維持修繕費が巨額になる。農機具や関連する機材、DIY用品が高額で、年金生活では苦しい。何かの時の都会との交通費も高くなる。移住するなら、立地を厳選する必要がある。

 別天地で、夫婦で楽しもうと張り切って田舎に老後移住したのに、膨大な肉体労働があって、遊んでいる暇はない。落葉の掃除、草刈りや庭木の剪定、片付け、補修などの建物まわりのメンテナンスも大変だ。移住するなら、建物の形態を厳選する必要がある。移住して数年で健康寿命が到来して、体中、あちこちにガタが来る。足腰が痛くなって、作業が辛い。病院通いが遠くて忙しいという事態になることは確定している。

 結局は、何のための田舎への老後移住だったのかと後悔することになる。漠然と、「のんびり、明るく楽しい農村生活、ゆとりのある別荘暮らし」のイメージを膨らませて、勝手に田舎暮らしに憧れるのは危険だ。キャンプ場のように、その時だけ楽しめば良いというわけではない。衝動的に老後移住に踏み切る前に、綿密な「余生の設計図」が必要だ。

 65歳で完全に退職し、2年後に移住したのなら、移住5年目には健康寿命を迎える。いずれにしても、男の健康寿命は72歳だ。個人差が大きいが、平均して「重労働は、移住後の数年間しかできない」と思った方が良い。しかし、やるべき仕事の総量は減らない。その後は、いったい、どうするつもりなのか。

 そして、10年目には77歳を超えている。もう、80歳に近く、もし、生きていたとしても、腰や膝が痛くて動けなくなっているかもしれない。庭でバーベキューをするどころか、一人暮らしで、配偶者のいる病院や老人ホームに通っているかもしれない。前後して、必ず、一方の配偶者が亡くなって、暗い山の中の、荒れ放題の中古住宅で一人暮らしの高齢者になる。

 月のない夜の、山の中の暗さが分かるだろうか。夜中にフクロウが鳴いて、虫や獣が古ぼけた中古住宅にやってくる。最近は、鹿やイノシシが増えているように思う。熊が出るようになった集落もある。日によっては、夜通し、風が戸を叩く。近所に人はいないので、叫んでも、誰も来ない。最寄りの警察署や消防署からの距離を計算すれば、パトカーや救急車もすぐには来ないことがわかるだろう。

 一般的に、女性の方が長生きだ。夫に先立たれた後、高齢の妻は、山の中で一人暮らしをしながら、「こんな、仙人のような生活を送るために、わざわざ移住したのか」と考えるはずだ。移住当初は、夫婦二人で元気だったことから、自然の中で暮らすことは楽しいことで、旅行にでも来たような気分だった。こんな生活になるとは、考えもしなかったはずだ。

 都会からの移住者が、80歳前後になって配偶者を亡くし、その後も、友達も親戚もご近所さんも近くにいない山の中で、何年も一人暮らしをすることは無理だ。ポツンと一軒家に住む現地の高齢者とは違う。おそらく、「こんなことなら、最初から移住などしなければよかった」と思うのではないか。こんな暮らしになることを、移住する前に想像できていたかどうかが判断の分かれ目だ。

 今は元気でも、やがて、日本人男性の2人に1人、女性の3人に1人が癌になる。高齢者は他の病気や認知症も多い。大規模医療機関に定期的に通院する場合、運転できなくなった場合、老人ホームに入る場合に、どうするかといった全体的な生活設計を綿密に考える必要がある。少なくとも、移住のドサクサで、老後資金を使ってはいけない。

 加齢に伴い、これから体力が落ち、病気が出てくることが確実なのだから、山の中は、体調の良いときに、貸別荘かオートキャンプ場に行けば十分なのではないか。恐らく、半月も行けば、嫌になると思う。

 以上のことから、中古別荘や農村の空き家などに老後移住しても、体調を崩したり、配偶者が亡くなったりすれば、結局、市街地に戻らざるを得ない。しかし、移住時に購入した物件は、おそらく、買った値段近くで売ろうとしても売れない。もともと、価値がないからだ。移住先の空き家の管理もできず、無責任になる。それなら、最初から、本当に「永住できる場所」に移住した方が、終の棲家として良かったのではないかと後悔する。 

 高齢者にとって、「永住できる場所」としての老後移住先は、田舎ではなく、市街地だなぜならば、これから、どんどん体力が落ち、100m歩くことさえ本当に大変になる。転んだら、一人では立ち上がれないようになる。病気になって、杖をついて病院に通うようになるが、運転もできなくなり、買い物も不自由だ。

 また、現在、「農山村や別荘地帯で孤立して住んでいる一人暮らしの高齢者」ならば、逆に、田舎から市街地に老後移住した方が良い。毎日、病院やデイサービスに通うことができる。必要になれば、ホームヘルプサービス(訪問介護)も受けられる。

 こういった展開を考えると、高齢者には、「鉄道の駅に近い、バリアフリーで、エレベーターのあるマンション」への移住が便利だ。無理なら、都市近郊の昭和の団地でも良い。住宅供給公社などの公的な高齢者向け賃貸住宅でも良い。地方都市でマンションや団地がなければ、市街地の平屋の小規模住宅でも良い。

 市街地のマンションや、高齢者向け住宅ならば、室内はフラットで、階段や段差が無い。車いすのままで生活や外出もできる。外出時も鍵1本で戸締まりができる。侵入されるリスクも少ない。冷暖房費が安い。

 庭の除草や落ち葉の清掃、枝の剪定、雨戸の開閉も不要だ。掃除もゴミ出しも楽だ。役所や病院も近い。コンビニやスーパーでお金もおろせるし、弁当も日用品も買える。出かけるのも、子や孫、友人を迎えるのも便利だ。在宅ケア、デイサービスも来てくれる。建物は、地震・台風・豪雨などの際も安心だ。

 要するに、高齢者こそ、生活に便利な市街地に住むべきだ。そうだとすれば、果たして、田舎や山の中への老後移住などは、そもそも、必要なのか、何の意味があるのか移住前に慎重に考えた方がよさそうだ。

 老後移住したとしても、老後移住しなかったとしても、その後の生活費や医療費は必要だ。何年後かには、入院か老人ホームに入る費用も必要になることには変わりがない。特に、老後資金が十分でない場合に、移住のために資金を使ってしまうと、本当に困ることになる。移住するかどうかを判断する前に、生活費、医療費、老人ホームなどの全体計算が不可欠だ。

 今は元気だから、夫婦そろって別荘気分で自然の中で暮らしたいといった憧れがあるかもしれない。しかし、この状態は長く続かない。やがて、必ず、配偶者の一方が先立ち、一人になる。「そもそも、田舎への老後移住の検討自体が必要だったのだろうか」と頭を冷やしてほしい。

 また、前述の諸問題のほか、移住に伴う売買契約・賃貸契約、転居作業、新たな人間関係や新生活の構築、現地での重労働など、いろいろ大変なことが想定される。どうしても、移住や転居などを実行しようとする場合は、できれば、心身ともに元気な60代のうちが良いかもしれない。

老後移住(1)田舎への移住は慎重に